山火事の報道のありかたについて

ニューズウィーク日本版にあった、山火事の報道のありかたに関する、ダグ・シュペヒト准教授 (イギリス・ウェストミンスター大学)の提言にとても興味を持ちました。

シュペヒト氏は、イギリスのメディアは、山火事や熱波についてひとつのアクシデント的に報道しがちなので、そうではなく、こうして山火事がたびたび起こっているのはなぜか、近年の気候変動の兆候とともに伝えるべきだと言っています。

山火事を、気候変動とむすびつけて因果関係とともに伝える、というのはとてもむずかしいことのように聞こえます。ただ、たしかに、火事1つ1つを単なる災害として伝えるだけだと、火事になった直接の原因や、その時の対応についての議論は進みますが、それにとどまってしまいます。

一方で、気候が大きく変わってきていることを、その根拠とともに伝えることは、これからの未来のありかたについて考えるうえでとても大事なことです。

そして、それは、遠くの山火事が、実は自分ごとであることを伝えることにもなるのではないでしょうか。山火事に直接遭遇しなかった、多くの人々の行動に影響を与えることになる点で、重要なことと感じました。

たとえば、今日本で日々報道されている水害のニュース。これがどうして起こっているのか。今年だけの、特別な異例のこととして捉えればいいのか。それとも、今後もこういうことが続いていくと予想されうるのかによって、私たちの描く未来に、大きく差が生まれるのではないでしょうか。

後者の場合、家一軒の設計のしかたから、町のどこになにを建てるのか、または建てないのかといった、町づくりのありかたまで変わってくるでしょう。また、個々人が毎日見聞きするニュースに対して感じることや、それにともない、政治に対する希望まで、意識が変わることも起こりえます。

今日は防災の日。防災の授業においても、自分が子どものころは、地震や火災時の防災対策を学ぶだけでした。でもひょっとしたら今後は、水害の際にとるべく行動をプールで学ぶようにしたらどうだろうと、考えが広がります。

シュペヒト氏は、今の(イギリスの)報道現場でニュース性やウケだけを意識して書かれていることに問題を感じていて、災害と環境問題を一緒に伝えるむずかしさについて伝えています。これはもちろんイギリスだけの問題ではなく、日本における報道のありかたや、担うべき役割についても、とても考えさせられる記事でした。

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